自己肯定感は必要ですか?
自分を肯定する、自己肯定感なんて言葉がありますよね。
私の知り合いのカウンセラーにも100%肯定する、と言う方もいます。
100%肯定することでカウンセリングを行っているようです。
しかし、本当に100%肯定することが良いのでしょうか?
例えばその人が人殺しをしていたら?
それでもその人を肯定するのでしょう。
いきなり極論になりましたが、でもその部分に目をつぶっていては肯定感についてキレイごとで終わってしまうのです。
私には全肯定はできません。
人殺しを肯定できないからです。
しかし、否定するわけではありません。
私の肯定、否定はあくまで私の価値観による判断です。
私たちは価値観を押し付けません。
だから肯定も否定もしないのです。
日本人の多くは自己否定の傾向が強い方が多いのではないでしょうか。
だから肯定感を上げよう、と言う考えはシンプルですが弱点があります。
善悪の判断をせず善との結論を出すことです。
肯定感を上げるということはそのことの良し悪しに関係なく、ただ肯定するだけです。
少し前の話ですが
乙武〇匡氏はこの自己肯定感を推奨していました。
ベッ〇ーさんもポジティブを売りにしていました。
このお二人がしたことは世間的に肯定的に捉えることではありませんでした。
自己肯定感が高いことは
自分=是
の感覚が強い、と言う事です。
しかも、無理に自分を肯定していけばそのうち他者否定につながってきます。
Qなんで物を盗んだの?
A物が欲しかったから
でもお金がなかったから
私がお金を持ってないのは社会が悪いから
まさに泥人にも三分の利です。
・・・ここを目指しているのでしょうか?
そうではないはずです。
自己否定で辛い、だからそこから脱出したい。
そのための手段としての自己肯定感、なのではないでしょうか?
しかし、自己肯定感は自己肯定感で欠点があります。
そこで私たちが勧めているのは自己肯定ではなく、自己受容です。
自分を受け入れることです。
今までの自分を受け入れることで次の一歩が踏み出せるのです。
こんな事情でこんなことをしてしまった。
じゃあ次はどうしようと考えるのです。
肯定も否定もする必要はありません。
ただただ自分を受け入れる、それだけで世界はガラッと変わるはずです。
アダムとイヴは善悪の知恵の実を食べたことで楽園を追われたと言います。
なら、善悪の判断を捨てることが楽園に行くのに必要なことなのではないでしょうか?
今までの価値観をいきなり変えることは難しいかもしれません。
でも、ああこういう考え方もあるんだなーと思ってみるだけでも大きな変化になると思いませんか?
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