陰徳あれば陽報あり
隠れて善い行いをする人には善い報いがある
だからやる、と言うのでは自分の為の行動になります。
別にそれでも良いのですが、もっと善い行いは人様の為に善いこと、ではないでしょうか。
ここまでなら
情けは人の為ならず
と同じ意味になりますね。
大きく異なるのは
隠れて行うこと
です。
自分に非がないならコソコソする必要はない、と考える方もいるかもしれません。
確かにコソコソするまではしなくても良いでしょう。
しかし、隠れてやることに意味があるのです。
・・・こう言われてピンと来ない人も多いかもしれません。
これ、私がやったんだぜ
とか
今こうなっているのは私のおかげで
など自分の手柄を自慢するのが恥ずかしいこと、という考えがあります。
アピールをしたいから善い行いをしたわけではないのです。
自己PRが重視される世界では善い行いをしたことをアピールすることが恥ずかしい、という感覚がわからない人もいるかもしれません。
PRのためにボランティア活動したりする人もいますし。
PRが悪い、と言う訳ではありません。
それとは別に隠れて行うことが美しい、という美学があるのです。
そしてそういう美学に基づいて行動する人にはきっと善い事が起こる、そういう考えなのです。
これは日本特有の美徳、ではなく西洋の価値観でもあるようです。
善行は隠れて行っても神様が見てくれています。
というようなことを言っています。
アメリカだと
自分大好き、俺ってすごいんだぜ
的なアピールが凄まじそうなイメージですけど。
海外にもいろんな価値観があるようです。
0コメント